第44回(その1) ― 日本論語研究会

高橋大輔

「よりよく受け継ぎ、よりよく託す―白洲次郎と論語の精神―」

遠景


――『白洲さんの著作というのは意外と少なくて、唯一『プリンシプルのない日本』というものが書物として残されています。「文藝春秋」や「諸君」に寄稿したものを取りまとめた一冊ですが、その中に「占領政策とは何か」というエッセイが有りまして、「己の欲せざるところ人に施すことなかれ」、これがその副題として挙げられています。私が白洲次郎さんに対して抱く論語のイメージは「朴訥剛毅(ぼくとつごうき)」もしくは「巧言令色、鮮(すくな)し仁」などを思い浮かべますが、白洲さんを語るときに明確な論語との接点というのは、実はこれだけでございます。冒頭でも少し触れましたが、父方のお祖父さんが三田藩の儒家を務めてはいるものの、孫の誕生前にこの世を去っています。

 そういう意味では、やはりこのエッセイが唯一と言って良いほどの、論語との直接の接点なんですね。占領政策に絡めての論語の一節、これは何なのかということで、ちょっと私なりの解釈をお話したいと思います。この「己の欲せざるところ」という一節は、論語の中でも非常に有名な一節でございまして、この論語研究会でもたびたび取り上げられる事がございます。今年も1月の田村先生、4月の岩越(豊雄)先生に続き、たしか私で3度目だったかと思いますが、意味は皆さんもご存じのとおり、一言でいいますと「人に対して、嫌がることをしてはいけない」。非常にシンプルですけれど、大事な言葉です。
自らが人に対して嫌がること、望まれぬことをしてはいけない。それと同時に、自分が嫌なことをされていたら、相手に対してどうするのか。逆の立場で考える材料にもなっているのではないのかなと感じています。一般的に、「自分がされて嫌なことは、人にするな」という捉え方で語られがちな「己の欲せざるところ~」ですが、逆に自分がそれをされる立場だったらどうなのか、これを考えなければならないというメッセージだったのではないのかなと私なりに解釈しています。
相手の身にもなってみろ、それと同時にこっちの身にもなってみろ。そんな感じです。どちらか一方だけに向けた言葉じゃないんですね。

 そしてここで、『プリンシプルのない日本』ということで、白洲さんと言えばプリンシプルという言葉がときどき代名詞のように語られますけれど、この本の中で「プリンシプルとは何なのか」というのは具体的なことは実は書かれておりません。面白い事にこのタイトルの項で取りあげられている問題というのは、憲法であったり安全保障であったり、沖縄ほかの領土問題であったり、今の日本にとっても宿題として残っている事柄になぞらえて、それらを包括する形でタイトルが付けられています。文庫本でも出ていますので、興味のある方は是非そちらをお読みください。

 いずれにしても、それ(=プリンシプル)がない日本だ、という風に語られています。
 これが何なのかというのを私なりに考えましたが、初めはプリンシプルとは何ぞや? プリンシプルという単語自体は、一般的に原理や原則などと訳されますけれど、そしたらその原則というのは何なのだろう。憲法につけても安全保障につけても、その芯を貫くものとしてのプリンシプルというのは何なのだろうと私なりに考えた過程で、今回のお話のテーマとして挙げさせていただきました「論語の精神」につながるものではないのかなと思います。白洲さんそのものは論語について改まって語っているというのは特にはございません。ただその生き方、心がけて来られたものというのは、私が見る限りでは、これはもう論語そのものではないかという風に感じています。口にする以上に、その足跡が物語っています。決して雄弁家ではない、けれど実行に移す。「朴訥剛毅」を地でいくイメージです。メディアの嫉妬に似た悪意で喧伝される事はあっても、本人の口が災いした舌禍の類は一切聞かれない。まさに「巧言令色、少なし仁」の対極です。

 ならば、その白洲さんにとっての論語の精神は何なのか。残された文献というのは特にございませんので、私も推測するよりございませんが、それが冒頭で紹介しました福澤翁や樺山大将の書画、ここに集約されているのではないのかなと考えております。白洲さんと論語をつなぐものは何かというと、ケンブリッジでの留学経験や内外の要人たちとの知遇、そういったものだけではなくて、むしろ武相荘に掲げられた書画、先人からの教え、まさにここにあるのではないのかと思えてなりません。

 私自身も日頃、論語とは結局、何なのだろう。時おり自問自答しますけれども、要はこういうことではないのかなと思っています。すなわち論語の精神とは、先人からの教えを、よりよく受け継ぎ、よりよく託す。まさにそこに尽きるのではないのかなと。実際、論語の起こりも孔子が自ら著したわけではなく、その弟子たちが書き残したものと言われています。そういった意味では武相荘の二つの書画も先人から受け継いだものです。

 行き着くところは結局、そういったものなのじゃないのかなという風に感じております。――


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「よりよく受け継ぎ、よりよく託す―白洲次郎と論語の精神―」(PDF:308KB)


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